学校について思ったこと





 今、「女の子どうしって、ややこしい!」という本を読んでいて、解った事がある。
 私が学校に行きたくない理由。

 学校へ行っていると、毎日がとても忙しい。
 週に五日、学校に行く。
 それも、朝早くから。
 計算してみると、例えば一日八時間(私の場合、これくらい寝ないと足りないらしい。)眠るとして、一日の内十六時間起きている事になる。
 そして、食事やトイレ、風呂や洗面、着替えなどの、取りあえずしなければならないことで合計一時間や二時間は取られるから、実際に活動できる時間は十四〜五時間という事になる。
 現在私の在籍している中学校だと、朝は八時までに登校し、帰りは部活動などが無くても三時〜三時半頃になる。
 この中に昼食やその間のトイレの時間は含まれるとしても、七時間以上居る事になる。
 これは睡眠時間にも匹敵する長さであり、活動時間の実に約半分である。
 人間の貴重な時間を、こんなにも取られていいのだろうか。
 私は家族が少ない上、生活時間も不規則なので、長時間一人になる事がとても多い。
 他の人間と関わらずに長時間居ると、することはそんなにある訳ではない。
(いや、私の場合勉強をすべきなのだろうが・・・。)
 本や漫画を読む、テレビを見る、勉強をする、音楽を聴く、絵を描く、ピアノを弾く、パソコンをする・・・など。
 これらのうちほとんどの事をする事に義務性は無い。
 だから、ずっとやっていると飽きるし、疲れもする。
 そうすると自然、何もしたく無くなぅたりする。
 でも、何もしないのも飽きが早いものだ。
 また、何か物が無くても身ひとつと時間さえあればできること、それが「考える」事。
 アニメや漫画の事など、割と「下らない事」を考えるというのは、楽しいが、そうそう長い時間続くものではないし、時間を無駄にしているという感覚に襲われる。
 そうなって始めて考えてみる事になるのが、人の死についてとか人生とは何かとか、人間と人間の関わりについてとか言う小難しげで深いことである。
 中学生がこんな事を笑われそうだが、考えるときは考える。
 このように深く「考える」事は、「悩む」こととは少し違う。
 まぁ両者は、一方が他方の延長線上に来る事もざらなのだが・・・
 悩む、というのは、その時何か気掛かりがあり、ある程度現在の状況を無視して考え込むことが多い。
 それに対して、深い難しい事について考えるのは、大抵何でもないときである。
 悩んでいるうちにそんな所に辿り着いてしまう事もあるにはあるが、大抵は急に考えてみたくなるもの。
 そして深く「考える」事は、何らかの精神的な「成長」に繋がる事が非常に多い。
 私は、人間が精神的な成長をする要因は、主に三つあると考える。
 一つ目は、長い期間に積み重なる様々な経験、二つ目は死や愛が絡むような衝撃的な事件の体験、そして三つ目は、上記のような深く「考える」事。

 最初にも書いたが、学校へ行っているととても忙しい。
 毎日の約半分を学校で、大人数であわただしく過ごし、家に帰ると宿題をし、夕食をとり、適度に遊び、お風呂に入り・・・大抵それだけで一日が終わる。
 そして休日は休日で、普段忙しくてできない事、時間が足りなくてできない事が沢山ある。
 必要な買い物に行ったり、友達と遊んだり。
 休日だからと出る、普段より大分多い宿題もある。
 学校の疲れも。
 だから、何もしたくなるほど、飽きてしまうほどの一人の時間は、余り与えられないだろう。
 私は割と長い間学校に行っていなくてあまり正確には解らないので、行っている人達からすると違うのかもしれないが、そういう時間は少なくとも、私は彼等よりは沢山得る事ができているだろう。
 ひいては、深い、難しい事柄について考える事のできる時間も長いはずだ。
 そのような事について深く考えるには、長い、何も無い静かな時間が必要だから。
 そして、先ほども書いた通り、「考える」事は私に、とても、とてもたくさんのことを教えてくれ、また成長を齎してくれたし、そしてこれからもまた沢山の成長をさせてくれるだろうと確信している。
 学校に行きたくない第一の理由は、これである。
 つまり、忙しい生活で、とても大切だと知っている「考える」事をする時間が失われるのが嫌であり、とても怖いのだ。
 確かに人と関わる事で自然と得るものも大きいとは思うが、考える事で得られる物の方が、私には大きいように感じられてしまう。

 そしてもう一つの理由が、人間不信になりたくない、という事である。
 私は学校へ行っていた頃、人間不信気味だった。
 特に、自分と同じ「学校に通う女子」が。
 一番初めの文に書いた本には、主に学校での、女の子同士の関わりに、特に虐めや嫌がらせについてとても詳しく、かつリアルに書いてある。
 それを読んでいて、私は当時のことを思い出し、そして原因に気付いた。
 私には、なかなか仲の良い友達ができなかった。
 今思い出してみても、周りの子達よりも、友達がとても少なく、今自信を持って「友達だった」或いは「友達だ」と言える子は、一人か二人しか居ない。
 私は、友達というのは、お互いの事を好きで、仲良くしたいと思っているものだと思っている。
 その本にも書いてあったが、女子というのはとても狡賢く、かつ弱いものだ。
 この様に一括りにするのは良くないが、そういう女子がよく居る、また居たというのは事実だ。
 そのような者は大抵、上辺だけの言葉や態度、また嘘がとても上手で、集団心理や周囲に合わせるのが常である。
 その為、本当は嫌いだったり、特に仲良くしたいと思う相手でなくても、友達の振りをしたり、いい顔をしたりするのが得意分野である。
 この事は、気付かなければ特になんでも無いのだが、1度気付いてしまうと、そうでない者までそう見え、誰が本当の友達で誰がそうでないのか解らなくなり、そして最後には、誰でも疑ってかかってしまうようになる。  そうなると、誰に対しても何処か嫌な態度になってしまい、本当に自分を友達だと思ってくれている者にまで疑いを持たせ、離れていってしまうことになる。
 これが悪循環を生み、ひいては人間不信になる事に繋がってしまう。
 だが、大勢の同じメンバーと毎日過ごすという事がなくなった今の私には、それは無い。
 信じなければ始らないという事に気が付いたのもあるとは思うが、今、仲の良い友達は皆、自分のことを嫌ってはいないと信じている。
 もしまた学校へ行き始めたら、やっとできた親しい、沢山の友人まで、また信じられなくなり、自然と失ってしまう気がするのだ。

 確かに今の、特に何の義務も無い自由な生活を無くしたくないという気持ちが無いと言えば嘘になるが、こんな理由で今私は「不登校」を続けている。


06,5,24、 月草 春輝
(06,07,26, 加筆修正)






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振り返って


 なんか、「振り返って」とか、あれですね。小学校でよく書く作文のタイトルみたいですね。
「二学期を振り返って」とか(笑

 これは、割と最近ですねぇ・・・
 前のとこれとの間、随分長い間、なんだか心の中がもやもやしていて、何も見えなかったんです。
 でもこの頃から段々色々と見えてきて、停滞していたのがほんの少し動き出した感じ。
 この頃から、思考等が色々と変わってきました。
 最初の文にある本は、今度サイトのどこかで紹介するつもりです。
 なかなか凄い本なので、もし良かったら読んでみてくださいね。
 最後に、これを読んだ事で気分を害された方がいらっしゃったら、心からお詫び申し上げます・・・


06,07,27,  月草 春輝




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