第二話「ここだ。」 海斗は、大分山が大きく見えてきた頃、ある建物の前で足を止めた。 そこは、一階建としては少し背の高い、倉庫のような大きな建物と、普通の高さの、木造の建物をくっつけたような建物だった。 左側の大きな方の建物には、中央に幅のあるシャッターが付いていて、下の方が少しだけ開けてあり、光が差し込んでいた。 結羅は、そこでふと以前彼から聞いたことを思い出した。 「そういえば、機械類の修理屋だって言ってたっけな。」 「ああ。」 海斗はそう答えつつシャッターに近付き、片手で器用に、少しだけ上に持ち上げた。 そこに前かがみになって入りつつ、結羅の方を振り向いて 「ほら、入れよ」 と中を指差した。 結羅がそれに従って、同じように前かがみになって中に入り、立ち上がって周りを見回すと、広いスペースに様々なものが置かれていた。 高めの天井に規則的に並んだいくつかのライトが全体を照らしている。 その光に反射して光っているのは、車体の前が開いた状態で正面の奥に置かれている自動車だった。 その手前にはラジオや自転車などの他に、踏み台代わりの小さな木箱や工具の入った箱が無造作に置いてあった。 壁に沿って所々にある、様々な大きさの木箱には、何やら紙が貼ってある。 右側の壁の中央辺りにはドアが一つあり、その手前には三段ほどの階段が付いていた。 そしてそれよりも入り口に近い壁には脚立が立てかけてあり、その隣には工具類が沢山置かれた棚があった。 その棚の近くに一つ木箱があり、その上に座って何か小さなものにドライバーを当てて回している少年が居た。 が、音に気付いたらしくそれを箱に置いて箱から降り、海斗を見て少し笑った後、見知らぬ来訪者を眺めた。 「よ、ただいま。」 片手を挙げて少年の方へ歩きつつ、海斗が言った。 声が広い室内に響く。 彼の触っていたものを手にとって少し見、それをまた置くとこちら見つつ、 「あ、コイツは俺の知り合いなんだ。今晩、うちに泊まって貰う事になった。」 と告げた。 少年は頷くと、奥に向かった海斗を眼で追う。 「海斗、弟・・・か?」 「ん?ああ。」 車の前の開いた部分を覗いていた海斗は、振り返って笑った。 「なんだよ、弟が居るとは聞いてなかったぜ?」 「あれ、話さなかったか?」 結羅がくすりと笑いつつ言うと、海斗は不思議そうに聞いた。 「ああ。」 「悪ぃ悪ぃ。」 「えと、よろしくな!」 結羅が木箱の前に居る少年に笑顔で声を掛けると、彼は結羅を見た後、俯いてしまった。 「あ、そいつ、口が不自由って言うか・・・喋れ、ないんだ。」 海斗が、悲しげな表情を浮かべてこちらを見ていた。 結羅は驚いて少年を見、そうか・・・と、小さく呟いた。 そして、端の適当な木箱を見つけ、歩いて行って荷物を下ろした。 そして少年をちら、と見つつ、考える。 今まで、眼が見えなかったり、耳が聞こえなかったりする人物には何人か会ったが、中にはとても辛そうな者も居た。 相手と同じ手段でコミュニケーションを取れないことがどれだけ辛いか、結羅は薄々ではあるが理解していた。 それでも、耳の聞こえない相手ならば筆談をすればいい。 だが、相手の声は聞こえるのにそれと同じものを発せないというのは、どれだけ辛いか、もどかしいか。 想像するだけで、心が締め付けられた。 海斗は、結羅のそんな心中を解っているようで、悲しげな表情を浮かべたままだった。 彼の弟は、はっと気付いたようにドアの方へと駈けていった。 「色々、苦労したんだろうな・・・ 辛いんだろうな・・・」 「ああ、まぁ、な。」 結羅の発した言葉に、悲しい笑みを浮かべた海斗が答えた。 少し経つと、少年が木の盆にカップを三つ乗せて戻ってきた。 そのカップからは、優しげな湯気が立っている。 結羅の気持ちは、それとは裏腹に沈んでいた。 彼は海斗の元へ歩いていき、三つの内のひとつを渡した。 「ん、サンキュ。」 笑って礼を言い、受け取る海斗。 少年は次に、結羅の元へ恐る恐るといった風に歩いてきた。 気付いていない結羅の服の端を少し引いて、ミルクの入ったカップを差し出す。 「あ、ありがとな。」 思案に暮れていた結羅ではあったが、優しい笑みを浮かべてそのカップを受け取った。 本人を前にしてあまり暗い顔をしては、彼を傷つけるだけだ。 その笑みを見た少年も、嬉しそうににこっと笑った後、先程座っていた木箱の所へ戻っていき、箱に盆を置いて座り、先程の作業の続きを始めた。 結羅はと言えば、先程の笑顔で改めて気付いていた。 そう、喋れなくても、心も意志もある。 こんな風にきちんと挨拶もせずに居るのは、泊めて貰う者として失礼というものだ。 カップの温かいミルクを一口飲み、笑みを浮かべてから海斗に呼びかける。 「海斗〜、この箱、ちょっと借りていいか?」 自分の座っているそれを指差して問いかける。 海斗は作業の手を止めて、不思議そうにこちらを見つつも 「ああ、いいけど・・・」 と答える。 「サンキュ。」 結羅は箱から降りると、辺りを見回した。 そして、風で転がり込んで来たらしい木の枝を見つけると、それを先程の木箱に乗せて、少年の座っている木箱の近くへと引っ張っていく。 少年はその音に気付いて何事かと結羅を見、自分の方に来る事に戸惑いつつもそれを眺めていた。 結羅は箱を少年の座っているそれのすぐ横に持っていき、そこに座った。 彼は結羅の行動の意図が判らず、相変わらず結羅の方を見ている。 「その・・・さっきは、変な態度取ってごめんな。」 海斗はその声に振り向き、結羅の行動をきょとんと見ていた。 少年は驚いた表情で結羅の顔を見た。 結羅は頭を掻きつつ、言った。 「えーと、あたしは結羅って言うんだ。 結羅っていうのは、こう書く。」 すとん、と箱から降り、地面に先程の枝きれで「結羅」と書いてみせる。 「お前は?何ていうんだ?」 笑いかけつつ彼を見、そして枝を差し出す。 少年は戸惑いつつも、自分も箱から降りる。 が、まだ戸惑っていると、海斗が声を掛けてきた。 「あ、そいつは・・・」 「いい。」 「え・・・?」 「海斗、いいんだ。」 真剣な眼差しを向けてくる結羅に、思わず海斗は黙り込む。 結羅は少年に向き直り、再び枝を差し出した。 少年は少し心配そうな表情で兄を見る。 海斗は、不意に優しげな笑みを浮かべ、頷いた。 少年はそれを見ると、結羅から枝を受け取り、地面にゆっくりと「夕」と書く。 「ユウ、か?」 結羅が聞くと、少年―――夕は、戸惑いつつ頷いた。 「そっか、夕、か。いい名前だな!」 結羅がにこ、と笑いかけると、夕は驚いた表情から、だんだんと嬉しそうな顔になっていった。 「よろしくな!」 立ち上がった結羅が手を差し出す。 夕はまた驚き、きょとんとしていた。 「握手。」 結羅がそう言った。 こんな風に握手を求められたのは、初めてだった。 が、以前兄が誰かとしていたのを思い出し、それを真似るように立ち上がって、恐る恐る手を差し出した。 結羅の手の近くまで手を持っていくと、それを結羅の手が取り、くい、と握られた。 今までは、こんな風に握手をしてくれた人など居なかった。 自分の境遇を聴き、同情し、そして離れていった多くの人が頭を過ぎる。 結羅の優しい笑みに、自然と、頬を一筋の涙が伝った。 結羅は驚いて、手を離して夕の涙を拭おうとした。 が、夕は、その手をぎゅ、と握り締めた。 結羅は少し考え、こっち、と反対の手を差し出した。 そして手を繋ぐ格好になり、一つの木箱に一緒に座った。 夕は必死に繋いでいない方の左手で涙を拭うと、必死に笑った。 結羅はそれを見て自分も優しい笑みを浮かべると、夕の顔を覗き込み、聞いた。 「今、幾つだ?」 夕は少し考えた後、名残惜しそうに繋いでいた手を離して、両手を開いて見せた。 「10歳、か?」 にこにこと嬉しそうに頷く夕を見、結羅も嬉しそうに笑う。 夕は結羅に向かって何か言いたげに口を開けたが、その後少し考え込み、そして先程の枝を取ると地面に「結羅は」と書いた。 「ああ、あたしか?えーと、幾つだ・・・ あん時14前だから・・・16、か。」 夕は1,2、と自分の歳を数える結羅に少し驚いた。 それを察したのか、結羅は頭を掻きながら 「あ、もうずっと旅してるからさ、あんまり歳とか考えてなくてな・・・」 と、苦笑いした。 夕もそれにつられてくすくす、と笑った。 このとき、結羅の心に一つの花が開いた事を、夕は知らない。 「仕事、楽しいか?」 修理中だったらしい目覚まし時計を見、結羅が聞いた。 その問いに夕は、先程以上の笑顔で、ひとつ頷いた。 そっか、と楽しそうに言った結羅は不意に、こちらをちらちらと伺っていた海斗の方を向いて、呼びかけた。 「海斗、コイツ、さ。」 「ん?」 海斗が振り返る。 「口が不自由だ、って言ってたけど、ちゃんと・・・ ちゃんと、『話せる』じゃねーか。」 「え・・・」 今までに言われた事のない台詞に、二人ともぽかん、としていた。 ひとり笑みを浮かべる結羅は、な?と、首を傾げる。 「っ・・・、ああ!」 泣きそうになりながら、必死で言葉を搾り出した。 ―――光が、見えた。 今日までの日々は、なんだったのかと、頭に疑問が溢れる程の。 そして夕もまた、ぼやけてはいたが、同じものを見ていた。 当の本人である彼は、兄よりも更に驚いていた。 今まで、話せないのか、口が聞けないのか、と、沢山の人に言われてきた。 そうしていつも自分に絶望し、兄の背に隠れていた日々。 なのにこの人は、自分が『話せる』のだと、そう言う。 それが、声によってする「話す」ではない事は、なんとなく解った。 それでも、信じられない。 それ以外に、人と言葉を交わす術があったなんて。 心を交わす術が、あったなんて。 上辺の言葉ならば、紙に書けば幾らでも交わせる。 けれど、それともまた違うものを、彼女は言っているのだ、と、漠然と感じた。 知りたい・・・そう、思った。 それは自分の全てである兄さえも、言わなかったこと、教えてくれなかったことだったから。 「なぁ、結羅・・・しばらく、うちに泊まってかねーか・・・? もし、用とかが、なければ・・・」 「え・・・」 少し驚いた後、結羅は言った。 「・・・ああ、じゃぁ、世話になるとするか!」 彼にとって今、いちばん欲しい言葉(もの)。 それが、手に入った瞬間だった。 |
後書き |
やっとこさ第二話アップできました・・・ なんだか長いですねぇ・・・(苦笑 それに、語彙の少なさと表現力文章力の欠落のせいで、書きたいこと全部は出し切れてないし・・・ こういうところは修行、修行ですね! 頑張ります。 多分、このペースなら、あと2,3話で終わりそうです。 元々そう長いものじゃないので。 亀更新ですが、最終話までお付き合い頂けたら幸いと存じます。 06,09,20, |